マイリトルポニー シーズン2感想 : アニメで犬ばかり見てるアニメで犬ばかり見てる

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    マイリトルポニー シーズン2感想

    • 2012/05/05
    マイリトルポニーのシーズン2が終わりました。
    シーズン3の予定はまだ公開されていませんが、放送自体は決定しているので近いうちにアナウンスがあると思います。

    私はMy Little Pony Friendship is Magicにシーズン1の終わりからハマったタイプなので、全話通して観たのはシーズン2が始めてです。そのためシーズン1と全く同じ環境ではありませんが、シーズン2の感想をシーズン1と比較してまとめてみようかと思います。


    エピソードについて


    このアニメの良さは、友情の良さだけでなく大変さもリアルに描写する点にある。
    「2枚しかないチケットで友達の誰を誘うか」
    「友達の友達とどう付き合うか」
    単純な仲間割れの問題ではなく、友達が大切だからこそ起きる日常的な問題を主体にしたストーリーは大人にも子供にも共感できる秀逸なものだった。それが女児向けというストーリーの単純さをカバーし大人を取り込んだ要因と言える。

    シーズン2でも友情については盛り込まれているが、それぞれのキャラクターが抱えていた友情の問題が解決されて行くにつれて結論がやや強引になっているように感じられる。話の単調さと強引さを感じるのは「推理回」だ。

    例えば「第18話 A Friend in Deed」ではピンキーがロバの探し人を見つけるが、その理由が「すでに知っていたから」というお粗末なもの。
    さらに「第24話 MMMystery on the Friendship Express」では視聴者から証拠を隠しながら推理が進んでいる。

    これらは視聴者に思考を行わせないようにする禁じ手であり推理物において正当とは言えない。特にピンキーは18話で強力な記憶力を発揮していただけに24話の活躍は拍子抜けだった。

    シーズン1の5話ではギルダとピンキーの関わりや、25話のピンキーの誤解など視聴者に推理を行わせる工夫が感じられるがシーズン2ではそれが雑になっている。エピソードの質はシーズン1のほうが秀逸だったと言わざるを得ない。

    ほかに違和感があるのは「パロディの増加」
    マイリトルポニーは独自の世界観とキャラクターが織り成すエピソードが新鮮だったが、シーズン2からはほぼ毎話映画などのパロディが高い頻度で登場するようになった。

    大人のファン向けのネタが増えたのはシーズン2の良さとも言える。これをシーズン1より良いと考えるか悪いと考えるかは人それぞれだろう。だがやりすぎているようにも感じられる。

    パロディというのは半世紀前のアニメでも頻繁に使用されている伝統的な手法だ。だが、パロディは元ネタを知っているからこそ楽しめるものであり、バラエティのストックを持つ大人向け表現と言える。ゆえにパロディは元ネタがあるからこその面白さであり、作品単体の面白さではない。パロディの多用はアニメの独自性と新鮮さを危険にさらす。パロディだらけのアニメなどまるで二次創作だ。

    だがダーピーのような小ネタが増えたのは評価したい。



    音楽について


    音楽の質はシーズンが変わっても素晴らしかった。
    海外アニメにおいてミュージカルシーンは珍しくないものの、TVアニメでは曲の多さや制作費の問題から粗製乱造になることがままある。
    だがマイリトルポニーはミュージカルのあるエピソードの密度がそれほど高くない代わりに音楽の質は非常に高い。

    その作曲を行うのはダニエル・イングラム
    http://danielingrammusic.com/songs
    完全に1人で作っているわけでは無いにしても、ポップからミュージカルまで幅広いジャンルをカバーする能力と、ほかのアニメでも同時に作曲を行っているという彼のストックの多さには驚かされる。

    シーズン2からは本格的なミュージカルシーンも登場し、シーズン1からますます質は上がっていると感じた。



    作画について


    このアニメはキャラクターの向きや歩行方法を形容化することで作画の手間を削減しながら質を向上させるこを可能にしている。つまり有効な使いまわしのシステムだ。1度作った動きは再利用出来るため、エピソードが増えるほど作画の質は増していく。シーズン2とシーズン1を見比べれば質の違いは一目瞭然だ。

    ただ、シーズン2からミュージカルシーンが本格化して気付いたことがある。

    リユースは通常の会話や歩行シーンで作画を安定させ、完璧な動きを毎回実現できる利点がある。だがパーツが形容かされているため激しい動きに制限があり、ディズニーのような本格的なミュージカルシーンを模倣しても斬新な動きを新たに作ることは不可能になっている。

    TVアニメに映画の質を求めるわけではないが、この作画方法は大部分で革新的な向上が望める代わりに、一部で表現の限界が現れる。

    その限界がシーズン2全体および最終話の“This Day Aria”で顕著に感じられた。この限界は映像に対する新鮮さを失わせ、ブーム終焉の要因になるのかもしれない。




    まとめ


    全体的に見てシーズン2はシーズン1より良かったとは言えない。
    個人的な新鮮さを失ったのが評価に影響しているとは考えられるが、新鮮さを失う単調さもそのアニメの質の一要因である。

    だがそれでもマイリトルポニーのエピソードは面白い。豊富な表情変化、自然で富んだ動作の細かさ、カートゥーンらしいシュールな動作。2000年代からアメリカのカートゥーンが失っていた物が復刻されたように感じられた。それがカートゥーンから離れていた20代前後の男女を取り込んだ大きな要因なのだろう。

    それらをまとめ、シーズン2で特に良いと思ったエピソードは次の通り。

    3話 Lesson Zero
    11話 Hearth's Warming Eve
    12話 Family Appreciation Day
    14話 The Last Roundup
    25話 A Canterlot Wedding

    Lesson Zeroは深いことを考えずに慣性で楽しむのには最高のエピソードだろう。

    Family Appreciation Dayはアニメの独自の歴史観でエピソードに壮大さを持たせているだけでなく、アメリカの歴史観にも照らし合わせればより楽しめる点が秀逸だった。

    最終話のA Canterlot Weddingはストーリーとミュージカルシーンの融合が見事。恐らく「ディズニー級」と評価される点はそこにある。ディズニーアニメを見慣れていれる身としてはむしろそれを否定する理由も見つかるが、海外TVアニメでここまで構成が整ったミュージカルシーンはそれほど多くない。それが映画を思い起こさせるマイリトルポニーの質の高さを物語っている。

    マイリトルポニーの人気は右肩上がりだがブームは終わりがあるからブームなのであって、マイリトルポニーにもブームの終焉は訪れるだろう。それまでに日本上陸が望まれる。

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    Comment

    野茂家エキス

    一緒に見てる親が笑うと子供もそれを見て笑う、
    という話を聞いた事があります。
    もしそうなら、パロディを多用するようになるのは、
    ごく自然な一つの変化かもしれませんね。
    場合によっては「アニメの独自性と新鮮さ」を気にする事こそ
    大人の押しつけかもしれませんね。
    • URL
    • 2012/05/06 17:05

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    プロフィール

    MASA

    Author:MASA
    ディズニーなどの海外アニメが好き。特にバルトが大好き。本当に犬しか見てないわけではないけど動物キャラが好き

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